「学芸員イチオシの一品!」第9弾のご案内

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更新日:2020年10月20日

「学芸員イチオシの一品!」第9弾

 大田区立郷土博物館には、開館以来収集してきた多くの資料が保管・展示されています。ここでは、考古・歴史・民俗という各分野の学芸員がオススメする資料を取り上げて、資料が持つ魅力や見どころについて紹介します。

[注意]資料の画像の二次利用や無断転載は固く禁じます。資料や画像のことにつきましては、大田区立郷土博物館までお問い合わせください。

 今回は、資料に見られる文様・意匠が持つ魅力や意義を紹介します。われわれ日本人の造形感覚は、悠久の歴史の中で培われ、その具体的表現としての文様・意匠は、資料の上では形を変えながらも繰り返し用いられてきました。それゆえ、各時代のデザインには新鮮な印象を抱く一方、どこか懐かしく、親しみやすい感覚にとらわれるのではないでしょうか。資料が持つデザインの力をご堪能ください。

【考古】久ヶ原遺跡採集 幾何学文壺 1点(弥生時代後期後半(2世紀))

写真:幾何学文壺(残存高26.6センチメートル)
幾何学文壺(残存高26.6センチメートル)

写真:胴部下半部の復元模式図(横浜市教育委員会ほか2019『打越遺跡』より転載)胴部下半部の復元模式図(横浜市教育委員会ほか2019『打越遺跡』より転載)

 弥生時代後期の大集落、久ヶ原遺跡で採集されました。肩部から上は残っていませんが、大形の壺形土器と考えられます。
 注目いただきたいのは、びっしりと付けられた幾何学文(図形を組み合わせた文様)です。この土器は縄文の地紋を線で区切り、地紋をすり消した部分に赤いベンガラを塗り、ミガキで光沢を出しています。とくに下半部は重山形文(「V」「Λ」)とその間に交互帯状縄文を配し、複雑です。このような土器は、弥生時代後期後半の東京湾岸地域で流行します。
 実用的な煮炊き用の土器とは異なり、当時の人々の生活圏や通婚圏など、集団間のつながりを示す象徴的な土器と考えられます。
 このような華やかな土器が流行した後、シンプルな土師器へと変化し、古墳時代を迎えます。弥生時代終わり頃の人々の躍動感が感じられる逸品です。
[考古担当:斎藤あや]

【歴史】柳々居辰斎ヵ「六郷渡」(江戸時代後期)

写真:柳々居辰斎ヵ「六郷渡」
柳々居辰斎ヵ「六郷渡」

写真:正確性は欠くものの、東インド会社のロゴを記した部分
正確性は欠くものの、東インド会社のロゴを記した部分

 六郷の渡しは、江戸の近郊に所在する東海道でも重要な渡しであったことから、多くの絵師が画題とした風景です。本作品もその一つですが、多摩川左岸の八幡塚村(現大田区東六郷三丁目付近)から対岸の川崎宿側を描く構図は面白みに欠ける定型的なものといえます。この作品でむしろ注目すべきは、黒地に白抜きのアルファベット風の文字が四周に配されている点です。記された文字には、正確性を欠く部分を含みつつ、東インド会社のロゴである「VOC」の組み合わせ文字や「HOLLAND(オランダ)」と読める部分もありますが、ほとんどの文字列は意味をなしていません。作者と推定される柳々居辰斎は葛飾北斎の門人で、洋風表現の風景画を得意としました。四周の文字列は、油絵の額を意識して用いられ、洋画的な雰囲気を彩るデザインとして考え出されたものと推測できます。
[歴史担当:築地貴久]

【民俗】大森麦わら張り細工(江戸中期~昭和初期頃)

写真:麦わら張り細工
麦わら張り細工

写真:麦わら張り細工の一部分の拡大写真
部分

 幾何学模様が施された麦わら張り細工の木箱です。張り細工は、様々な色に染めたストロー状の麦わらを平らに開き、細く割いて木箱や紙箱に切り張りして作られたもので、光沢のある麦わらの質感を活かした工芸品です。緻密で細かい幾何学模様や花鳥・人物等、様々な図柄のものが残っており、当時の職人たちによる瀟洒な意匠と高い技術力を伺い知ることができます。
 大森地域でかつて生産されていた麦わら製の細工物には、編み細工と張り細工がありました。江戸時代には、東海道の宿場であった品川と川崎の間の休憩処、「間宿(あいのしゅく)」で道中を行き交う旅人へ向けた土産物として販売店が軒を連ねました。軽くて旅の土産に適していたこともあり、「大森細工」の名で評判を呼び「浅草海苔」や道中常備薬の「和中散」とともに人気の名産品でした。
[民俗担当:小室綾]

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