「学芸員イチオシの一品!」第6弾のご案内
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更新日:2020年7月22日
「学芸員イチオシの一品!」第6弾
第6弾の公開です!
大田区立郷土博物館には、開館以来収集してきた多くの資料が保管・展示されています。
ここでは、考古・歴史・民俗という各分野の学芸員がオススメする資料を取り上げて、資料が持つ魅力や見どころについて紹介します。
[注意]資料の画像の二次利用や無断転載は固く禁じます。資料や画像のことにつきましては、大田区立郷土博物館までお問い合わせください。
【考古】久ヶ原遺跡(久が原六丁目13番A地点) 長胴甕 (古墳時代後期(6世紀後半~7世紀前半))
久ヶ原遺跡 長胴甕
長胴甕の使い方(復元図)
カマドで煮炊きをする文化は大陸に起源を持ち、古墳時代中期後半(5世紀後半)には、関東地方に伝わりました。長胴甕はカマドにはめ込んで、お湯を沸かし、ものを煮るために使われた土器です。口の上に甑(こしき)という蒸し器を載せて下から蒸気を送り、穀物を蒸す調理にも使われました。
この長胴甕は、木の板で表面をなでて胴部の形を整えており、板の木目がすれて刷毛目(はけめ)とよばれる細い線の痕がついています。同じころの武蔵国(東京都、神奈川県川崎市・横浜市、埼玉県)の多くの長胴甕が、胴部の表面を金属の刃物でけずって整えているのに対し、珍しい事例といえます。
[考古担当:林正之]
【歴史】佐藤朝山 「不動明王図」
佐藤朝山「不動明王図」
矢島甲子太郎の作成地図
日本橋三越本店にある「天女(まごころ)」像の制作で知られる彫刻家・佐藤朝山(本名清蔵)は、大正8(1919)年の結婚を契機として馬込のアトリエ(現博物館付近)に居を移しました。本作品は朝山の家に出入りしていた植木職人に贈られたものです。「清蔵」の印があることから、昭和14(1939)年頃、師匠・山崎朝雲との不和により「朝山」号を返却し、終戦前に馬込を離れるまでの間に制作されたものと推測できます。アトリエは空襲で全焼し、その作品の多くは失われてしまったため、馬込時代に制作された本作品は貴重といえます。
なお、馬込の彫金家・矢島甲子太郎が残した馬込の災害地図を見ると、昭和20年5月の空襲で博物館の裏手辺りが焼失したことがわかります。朝山のアトリエを全焼させた空襲は、この時のものだったのでしょう。
[歴史担当:眞坂オリエ]
【民俗】歌川広重(初代)「名所江戸百景 南品川鮫洲海岸」(安政4(1857)年)
名所江戸百景 南品川鮫洲海岸
【参考】戦前のヒビごさえ
江戸とその近郊の春夏秋冬を描いた作品群の内の1枚です。品川から大森の海岸沿いでの海苔づくりは、冬季に最盛期を迎えたことから、冬の風物詩としてよく描かれました。
享保年間(1716~36)頃から始まったと言われる海苔づくりですが、特に大森は海苔の質・量ともに全国に誇った時期がありました。しかし、東京港の埋立て計画などに応じるため、昭和38(1963)年の春に海苔づくりを終えました。
本作品には、海岸線に沿って海苔を育てるために建てられた「ヒビ」が描かれています。ヒビの素材は木、竹、網と時代が下るごとに変化しました。冬の仕事である海苔づくりですが、「ヒビござえ」といった道具の準備は夏から始まりました。
[民俗担当:乾賢太郎]
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