「学芸員イチオシの一品!」第7弾のご案内
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更新日:2020年8月18日
「学芸員イチオシの一品!」第7弾
今回は第7弾!大田区立郷土博物館には、開館以来収集してきた多くの資料が保管・展示されています。ここでは、考古・歴史・民俗という各分野の学芸員がオススメする資料を取り上げて、資料が持つ魅力や見どころについて紹介します。
[注意]資料の画像の二次利用や無断転載は固く禁じます。資料や画像のことにつきましては、大田区立郷土博物館までお問い合わせください。
暑い夏。今回の資料紹介は、涼しげで美しい「多摩川」をキーワードとしました。各担当が多摩川隣接地域に関係する資料を時代の流れに沿って紹介します。
【考古】扇塚古墳 1号主体部出土 連弧文鏡 (内行花文鏡 )(古墳時代前期(4世紀))
鏡の裏(鏡背)(直径85ミリメートル)
鏡の表(鏡面)
多摩川下流左岸の台地上には、多くの古墳が築かれました。扇塚古墳は、田園調布古墳群に属する前期の古墳です。1号主体部の木棺の中から、鏡、ガラス小玉、鉄剣等が出土しました。
この鏡は、中国の後漢(紀元後25~220年)後半期の鏡をモデルにした、日本製の銅鏡です。鏡の表(鏡面)は凸面で、全体に錆がありますが、研磨処理された黒色の面が縁辺部にわずかに確認できます。鏡の裏(鏡背面)には、弧状の紋様が連なることから「連弧文鏡」、または弧を花弁に見立てて「内行花文鏡」とも呼ばれます。連弧文は5つの単位から成り、星のようなデザインです。内側には珠点(しゅてん)が充填(じゅうてん)され、外周には二重の同心円の間に櫛歯文(くしばもん)が配されます。中央には、ひもを通すための半球形の紐(ちゅう)があります。また、朱と考えられる赤色顔料がよく残っています。
当時の鏡には神秘的な力が宿るとされ、首長の権威を示す宝器の一つでした。
[考古担当:斎藤あや]
【歴史】一勇斎国芳「武蔵国調布の玉川」(嘉永5(1852)年)
一勇斎国芳「武蔵国調布の玉川」
株式会社白洋舎製「江戸名所 多摩河乃里」
多摩川での布さらしの様子を描いた作品です。布地を水で洗って踏んだり、杵と臼でついたりして乾かし、生地を白くすることを「さらす」といいます。女性が長い布を清流に浸し膝を見せてこれを踏み、袖をたくし上げて杵でつく姿は、春情をそそるものとして美人画の題材となりました。
ちなみに、昭和戦前期、下丸子の多摩川沿いには大規模工場が続々と進出してきました。ドライクリーニング業の草分け白洋舎もそのひとつです。当館が所蔵する絵葉書「株式会社白洋舎多摩川工場写真」は昭和7(1932)年に設置された多摩川工場(現東京支店所在地)関連のセットで、うち1枚は安政5(1858)年の「江戸名所 多摩河乃里」(歌川広重作)がモチーフとなっています。布さらしを事業である「洗濯」に見立てて絵葉書としたのでしょう。
[歴史担当:築地貴久]
【自然】昆虫標本
区内で採集した昆虫の標本
多摩川のヒヌマイトトンボ
郷土博物館所蔵の資料の中に、区内で採集した昆虫の標本があります。この標本群から、今回は多摩川に生息するトンボ「ヒヌマイトトンボ」を紹介します。
ヒヌマイトトンボは、体長3センチ程度の小型のトンボです。トンボの幼虫(ヤゴ)は通常淡水を生息地としますが、ヒヌマイトトンボは汽水域(河口付近の海水と淡水が入り混じる場所)を好む珍しい種です。区内では、昭和51(1976)年に六郷橋付近で確認され、現在も多摩川の河口付近で6月から7月頃にかけて発生がみられます。
古代より人の生活に欠かせなかった多摩川の水は、昭和30年代後半から都市排水の増加により水質が著しく悪化し、周辺環境も変化して昆虫の生息場も奪われていきました。その後水質改善と環境保全の取り組みが始まり、現在は豊かな自然環境に戻りつつあります。
[民俗担当:小室綾]
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