「学芸員イチオシの一品!」第4弾のご案内
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更新日:2020年6月18日
「学芸員イチオシの一品!」第4弾
第4弾の公開です!
大田区立郷土博物館には、開館以来収集してきた多くの資料が保管・展示されています。
ここでは、考古・歴史・民俗という各分野の学芸員がオススメする資料を取り上げて、資料が持つ魅力や見どころについて紹介します。
[注意]資料の画像の二次利用や無断転載は固く禁じます。資料や画像のことにつきましては、大田区立郷土博物館までお問い合わせください。
【考古】宝らい山古墳(田園調布四丁目) ヤリ(古墳時代前期(4世紀前半))
宝らい山古墳の粘土槨(ねんどかく)から出土しました。
鉄剣のように見えますが、柄の中央が三角形に突出するのはヤリの特徴です。(1)柄の先の複数の部品で、(2)穂先を挟み、(3)紐で巻いた上から漆を塗って固定し、(4)形を整えます。残存長は40センチメートル、近畿地方の例から、約3 ~ 4mの柄がついていたと推定されます。
古墳時代前期の日本列島では、ヤリが多数作られます。これは朝鮮半島での矛の普及と連動する動きです。当時の日本列島の鍛冶技術では、矛の柄を差し込む空洞(袋)を作るのが難しく、鉄剣と同じ形の穂先に長い柄をつけて代用し、大陸並みの武装を目指したとみられます。
[考古担当:林正之]
【歴史】歌川広重「蒲田の梅園」
歌川広重「名所江戸百景 蒲田の梅園」(安政4(1857)年)
歌川広重『絵本 江戸土産』二篇「蒲田の梅園」(嘉永3(1850)年)
蒲田は、古来より梅の名所として知られ浮世絵に描かれてきました。その代表として本作品が挙げられます。東海道筋にあった梅園を描いたもので、現在の聖蹟梅屋敷公園の所在地を含む辺りに位置していました。蒲田の梅園は観梅の地としてだけでなく、旅の常備薬「和中散」の他、梅干し等の販売も兼ねた旅人の休息所としても知られました。
上記の浮世絵の他、広重による「絵本 江戸土産」にも同じ梅園を見ることができます。浮世絵が等身大目線で描くのに対し、俯瞰的に描かれたものです。茶店が3棟、池、石碑などのモチーフが同じで、その並び方も共通していることから、「絵本 江戸土産」を下敷きとして本作品が描かれたと考えられます。
[歴史担当:眞坂オリエ]
【民俗】御嶽 神社の供米袋
供米袋(当館所蔵)
かつての御嶽神社正門(『東京市郡合併記念帖』(昭和7年発行)より)
大田区北嶺町の御嶽神社は、「嶺の御嶽山」とも呼ばれています。同社は日本屈指の霊山である木曽御嶽山(長野県・岐阜県)の関東第一分社であり、関東一円から多くの御嶽講を集めました。特に社殿を建立した一山行者(?~1851)が布教に努めたと言う中山道沿いには、多くの御嶽講が結成しました。
本資料は、板橋区の赤塚一山元講で発見された紙製の供米袋で、御嶽講では米や初穂料を嶺の御嶽山へ納める時にこの袋を使いました。御嶽講においてこの資料が伝来していることは、神社とのつながりを考える上でも非常に重要なものと言えます。
(注釈1)「嶺の御嶽山」については、特別展図録『嶺の御嶽山と一山行者』(令和元年10月発行)でご覧いただけます。
[民俗担当:乾賢太郎]
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