第1回 初代館長、西岡秀雄 学芸員コラム

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更新日:2022年5月18日

 このコラムは、企画展「田園調布の遺跡発見!~初代館長、西岡秀雄の足跡~」の内容を、さらに掘り下げたものです。大田区立郷土博物館の初代館長を務めた考古学者・地理学者、西岡秀雄(1913~2011)が、10代後半~20代、考古学・人類学を志し、地元、田園調布周辺の遺跡の調査研究と成果の発信に奔走しつつ、研究者へと成長していく足跡をたどります。第一回目は、西岡秀雄の略歴についてご紹介します。

西岡秀雄という人物

田園調布の考古青年

 西岡秀雄は、大正2(1913)年、父俊雄、母郁子の長男として生まれました。大正13(1924)年、関東大震災を受け、一家は東京青山から田園調布に転居します。
 西岡は、もともと電気工作や科学実験が好きな科学少年でしたが、中学時代、ある事件をきっかけに考古学・人類学の世界に魅せられ、自身が住む田園調布とその周辺地域の遺跡の調査をはじめます。その活動はやがて地域からも認められ、西岡は、講演や見学会を通じて、宅地開発で急速に失われつつある、遺跡の保護の必要性を訴えます。
 昭和8(1933)年、西岡は慶應義塾大学に進学します。ここで考古学・人類学の一分野である「史前学」を提唱した考古学者の大山柏や、考古学に強い関心を持つ西洋史学者の間崎万里、民族学者の松本信広などの師と出会い、当時慶應義塾大学が相次いで実施した、学史上重要な発掘調査にも従事します。
 同じころ西岡は、自邸の一角に「西岡人類学研究所」の看板を掲げ、田園調布とその周辺の遺跡の調査研究を本格化させます。研究所を地域の考古学研究の拠点とするために、発掘・採集した考古資料を整理・保管し、研究者だけでなく、考古学に関心を持つ学生や歴史研究サークルなど、幅広い人々の資料見学に供しました。また、考古学者、後藤守一による、東京府の史跡名勝天然記念物の調査や、地元大森区による『大森区史』の編さん・執筆にも積極的に協力し、『人類学雑誌』や『考古学雑誌』などの学術誌に、田園調布の遺跡に関する様々な角度からの分析を発表します。こうした多岐にわたる活動により、西岡の田園調布の遺跡に関する研究成果は、永く学史に刻まれました。特に、田園調布から世田谷区野毛にかけて広がる荏原台古墳群の分布調査は、この古墳群の実態を今日に伝える貴重な成果で、西岡が古墳に付けた番号は、遺跡名称「西岡22号墳」「西岡28号墳」などとして、現在も生き続けています。
 しかし、迫りくる戦禍は、西岡に研究の継続を許しませんでした。昭和15(1940)年、召集を受けた西岡は、陸軍航空隊に入隊します。以後、中国南部、東南アジア各地で何度も死線をくぐりながら軍務にあたり、ベトナムで終戦を迎えます。

人文地理学の「ユーモア教授」

 昭和21(1946)年に復員した西岡は、慶應義塾大学に復職し、ただちに旺盛な研究活動を再開します。昭和20年代前半を通じて、地球の気温が700年ごとに寒期と暖期を繰り返すという「気候七百年周期説」や、男女の性に関する信仰を様々な視点から総合的に分析した「性神」の研究を相次いで発表し、一躍脚光を浴びます。これらの研究は、考古学にとどまらず、民俗学・文献史学・自然科学など多様な学問分野を横断した壮大な構想で、特に気候七百年周期説は、後の年輪年代測定法の先駆けといえるものでしたが、当時の学界には受け入れられませんでした。
 昭和27(1952)年、慶應義塾大学文学部の専任講師(昭和31(1956)年に助教授、昭和39(1964)年に教授)となってからは、人文地理学の講座を担当し、教育と社会的実践を重視する、独自の地理学に取り組みます。世界の料理や音楽などにも及ぶ幅広い内容を、映像を駆使し、軽妙な話術で語る西岡の講義は人気を博し、西岡は「ユーモア教授」の異名をとる名物教授となります。
 地理学のテーマとして「観光」に注目した西岡は、行政や企業による観光開発・都市開発事業にも関わります。西岡が指導する学生サークル、文化地理研究会は、観光に必要な施設に関する実地調査に活躍し、特に公衆トイレの実態調査は週刊誌にも取り上げられて、注目を集めました。西岡のトイレへの関心は生涯にわたって続き、昭和60(1985)年に日本トイレ協会が設立されると、その初代会長に就任します。

大田区での活躍

 西岡は、観光のための施設として「博物館などの文化施設」を重視する観点から、地元大田区の文化財を保護する活動にも携わります。昭和29(1954)年、大田郷土の会の発足に幹事として関わり、昭和37(1962)年からは大田区文化財委員会の委員、昭和49(1974)年からは大田区史編さん委員を務めました。
 中でも力を注いだのは大森貝塚の保存・顕彰で、東京都大森貝塚保存会の会長として、大森貝塚に関わる貴重書の復刊や、大森貝塚発掘九〇周年、一〇〇周年の記念式典などの記念事業のほか、発掘調査の実施や、展示公開施設の整備にも携わりました。
 昭和54(1979)年 11 月 3 日、大田区立郷土博物館が開館し、平成 13(2001)年 3 月の退任までの間、西岡館長のもとで、「考古学トイレ考」展など、多くの画期的な展示が実施されました。

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