おおた区報WEB版 令和3年6月21日号〔トップページ・特集〕
更新日:2021年6月21日
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特集
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川瀬巴水
「心に染み入る癒やしの風景」
約40年にわたる画業生活の大半を大田区内で過ごし、旅から旅へと全国を歩き、古き良き日本の風景を描き続けた新版画の第一人者、
区内を描いた「馬込の月」など、国内外で高い評価を受けてきた風景版画はどのような心情から生み出されたのでしょうか。郷土博物館での特別展に先駆けて、数多くの作品の一部を
- 明治16(1883)年【0歳】
東京市芝区 露月町 (現・港区新橋)に出生。 - 明治43(1910)年【27歳】
日本画家・鏑木清方 に入門。
後に「巴水 」の名を与えられる。 - 大正7(1918)年【35歳】
版元 ・渡邊庄三郎 の下で、処女作「塩原 おかね路」「塩原 畑下 り」「塩原 しほがま」を出版。
[1]参照 - 大正12(1923)年【40歳】
関東大震災後、日本各地を巡る人生で最長の旅に出る。 - 昭和2(1927)年【44歳】
東京府荏原郡 入新井町 (現・大田区中央)に転居。
[2]参照 - 昭和5(1930)年【47歳】
東京府荏原郡 馬込町 (現・大田区南馬込)に転居。
[3]参照 - 昭和19(1944)年【61歳】
空襲が激しくなり、栃木県塩原 福渡 へ疎開。
疎開中も再三上京。 - 昭和23(1948)年【65歳】
東京に戻り、大田区上池上町 (現・大田区上池台)の渡邊庄三郎 の別宅を借りる。
[4]参照 - 昭和32(1957)年【74歳】
胃癌 のため逝去 。
[1]塩原 しほがま
大正7(1918)年秋
体が弱かった幼少期を過ごした
「
[2]千束池 「東京二十景」
昭和3(1928)年作
「私はやはり静かな、しみじみとした世界が良い。雪もそんな感じのものは心を
[3]西伊豆 木負
昭和12(1937)年6月
富士に桜をあしらった日本らしい構図は海外輸出を意識したもの。
「見る風景が版画に見えるようになって来た」(注釈3)
と語った
[4]池上本門寺之塔
昭和29(1954)年作
戦後、最後に描いた東京の姿は池上本門寺。変わらない姿に
出典:
(注釈1)
(注釈2)
(注釈3)
郷土博物館特別展
「川瀬巴水 版画で旅する日本の風景」【観覧無料】
前後期の展示では、作品やスケッチブックに加えて
日時 午前9時から午後5時(月曜日休館。8月9日、9月20日は開館)
プレ展示
旅先の風景(約30点)
7月11日(日曜日)まで
前期
東京の風景と人物・静物画(約200点)
7月17日(土曜日)から8月15日(日曜日)
後期
旅先の風景(約200点)
8月19日(木曜日)から9月20日(祝日)
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