大田区のプロフィール
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更新日:2021年1月15日
区名の由来
昭和22年(1947年)3月15日に、当時の「大森区」と「蒲田区」が一緒になって誕生したのが大田区です。その際、両方の一字ずつを取って命名されました。
大田区の前身である大森・蒲田の両区は、ともに昭和7年10月に、当時の東京市へ隣接する郡町村が編入された際に設置されました。
馬込、東調布、池上、入新井、大森の5つの町が大森区に、矢口、蒲田、六郷、羽田の4つの町が蒲田区になりました。
大田区の面積
61.86平方キロメートル(23区内第1位)
大田区の位置
東京都の東南部に位置しています。
東は東京湾、西・南は多摩川に面し、江東区、品川区、目黒区、世田谷区、神奈川県川崎市とそれぞれ隣接しています。
大田区役所本庁舎(大田区蒲田五丁目13番14号)のおおよその位置
- 北緯 35度33分41秒
- 東経 139度42分59秒
大田区の地勢
西北部の丘陵地帯と東南部の低地に2分され、丘陵地帯はいわゆる武蔵野台地の東南端にあたります。低地部は、海岸や多摩川の自然隆起と堆積によってできた沖積地と、それに続く埋め立て地からなっています。
海抜は、田園調布付近が最高で42.5メートル、南東に向かって次第に低くなり、低地部の高いところで約5メートル、海岸線や埋め立て地では約1メートルです。
大田区の歴史、沿革
海と川に臨み、武蔵野台地の先端に位置していることから、昔から人が住みやすく、交通の要路でもあったため、区内には大森貝塚、多摩川台古墳群、池上本門寺五重塔など多くの史跡が点在しています。また、水止舞や禰宜(ねぎ)の舞などの伝統芸能も数多く残されています。
江戸期は農漁村で、特に海岸の大森・糀谷・羽田地区では海苔(のり)の養殖(昭和38年まで存続)が盛んに行われました。また、東海道の街道筋にあたっていたため、人馬の往来でにぎわいました。大正期以降、中小工場が進出し、低地部は住宅や工場が密集する商業・工業地域を形成し、京浜工業地帯の一部となっています。台地部は、関東大震災後住宅化が進み、田園調布、雪谷、久が原など比較的緑の多い住宅地です。臨海部は埋め立て地からなっており、空港をはじめトラックターミナルやコンテナふ頭、市場など物流施設のほか、工場団地、野鳥公園など都市機能施設が整備されています。
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