第64号(令和6年8月29日発行)
ページ番号:747158568
更新日:2024年9月4日
「かまた東64号」の概要は次の通りです。
・蒲田東の中学校から見た地域
・19の顔と声
・中学生の思いと決意
・てぃだぬふぁ
・リーダー19 会長大いに語る 第十二回
・蒲田東ぶらり ~消え去った蒲田映画街~
・編集委員紹介
・編集室便り 『チャレンジ』
この中の一部を掲載します。すべてを読みたい方は、是非PDFファイルをダウンロードしてみてください!
蒲田東の中学校から見た地域
ボランティア活動
東蒲中学校長 小松 重樹
新型コロナが流行り、学校の教育活動は中止や大きな制限がありました。その中でもボランティア活動が全くできなくなりました。しかし、昨年度の五月に新型コロナ感染症が二類から五類に移行したことをきっかけに、ボランティア活動を再開しました。
七月に地域の町会のイベントに参加し、起震車体験やゲームコーナー等の担当として小さなこどもたちの誘導をしました。八・九月には地域祭礼で、お神輿を担ぎました。町会の方たちと触れ合い、蒲田駅前やキネマ通りで神輿を担ぎ、練り歩きました。生徒が大きな声を出してお祭りを盛り上げ、良い思い出になりました。その他、防災のイベントや小学校の運動会にも参加しました。秋には校外の活動だけではなく、学校の周りの落ち葉掃きをしました。地域清掃を呼びかけると、多くの生徒が参加して、登校前の時間に学校の周りをきれいにしました。
このように本校の生徒はボランティア活動を呼びかけると、多くの生徒が参加し、気持ちよく活動してくれます。地域に根ざした学校を目指していきますので、これからも東蒲中生をよろしくお願いします。
おみこしボランティア
防災ボランティア
蒲田東ぶらり ~消え去った蒲田映画街~
敗戦後の昭和中期は経済が発展し始めた頃で、世の中はまだ貧しくも活気のある日本になりつつあった。その頃の庶民は良く働いていたのを私は子供ながらに覚えている。サラリーマンも多くいたが、職人や商人の労働力もひとかたならないパワーが有った。
そんな庶民の娯楽と言えば、ラジオや駅前にポツリポツリと出現して来た街頭テレビくらいのものであろう。そして芝居や映画と言う娯楽はその中でも一段と輝いていた時期でもあった。 元々蒲田には松竹撮影所(現在のアプリコ)が在った事からか撮影所から北へ百米と離れていない所へ約八軒もの映画館が「美須商事株式会社」によって営業されていた。しかし今はその映画街もすっかり消えてしまった。すさまじい勢いで普及した家庭のテレビジョンやビデオシステム、今ではインターネット等の媒体により憧れの銀幕の世界も家庭でお手軽に見られるものになってしまい、その幕を降ろさざるをえなかったのだろう。先日浅草の友人に聞いた話では、あの六区の映画街でも上映館が皆無となってしまったらしい。
【地図説明】
(1)蒲田日活 (2)蒲田大映 (3)蒲田東映 (4)蒲田国際劇場(5)蒲田松竹映画館
(6)蒲田ロキシー映画部 (7)蒲田文化映画館 (8)蒲田スカラ座(9)自転車置き場
(10)おぐら湯(後にパチンコボタン園) (11)寿司 秋月 (12)美須商事株式会社
(13)空地(現・パチンコ金時) (14)松竹撮影所(現・アプリコ)
昭和31年蒲田映画街全景
昭和33年蒲田映画街周辺図
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