【プレスリリース】〔大森 海苔のふるさと館〕写真展「『漁』のある風景」を開催中!

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更新日:2024年8月21日

大田区の沿岸部では、昭和38年春まで大森・糀谷地域は海苔養殖が行われ、羽田地域では江戸時代から猟師町(注釈1)として栄えてきました。人々の暮らしや家屋はこれらの地場産業と結びついており、特徴的な街並みが広がっていました。今回は「漁」が盛んだった頃の海辺の街の風景や人々の日常が写された写真を展示します。


大東京祭の海上パレードに向かう海苔船(昭和31年10月撮影)


漁師の家が立ち並ぶ羽田の五十間鼻付近(昭和30年代 横山宗一郎氏撮影)

大田区の沿岸部の大森・糀谷地域は、海苔養殖以前は畑作を中心とした農村でした。江戸中期に海苔養殖が始まると、母屋周辺の敷地や農地は広い海苔乾し場に変わっていきました。羽田地域は、江戸幕府に海産物を献上する猟師町(注釈1)で、漁村としての恩恵を受けて栄えました。船着き場周辺には共同で船の帆や網を乾す場所があり、その周りに漁師の家屋が集まっていました。人々の暮らしや家屋はこれらの地場産業と結びついており、特徴をもった街並みが広がっていました。

昭和38年春、港湾整備計画のために大田区の海苔養殖と沿岸漁業は終わりました。そして、海辺の街は急速に湾岸の埋め立てやインフラ整備が進められ、街の景観は大きく変わりました。

今回の写真展では、「漁」が盛んだった頃の海辺の街の風景や人々の日常が写された写真を展示します。写真を通して当時の暮らしや街の風景の変化を振り返ります。

(注釈1)猟師りょうしまち…当地の漁民が獲った魚を江戸幕府に納めていたことから、幕府が羽田に「猟師町」という町名を与えました。このことから、羽田の人々にとって「猟師町」という名は名誉であり、羽田猟師町という地名が実際に使われていました。

【期間】8月20日(火曜日)から12月15日(日曜日)まで
【開館時間】午前9時から午後5時まで(6月から8月は午後7時まで)
【会場】大森 海苔のふるさと館(大田区平和の森公園2−2)
【休館日】9月23日(月曜日・祝日)から10月31日(木曜日)まで、11月18日(月曜日)
【展示資料】展示資料 約37点 常設展示室には、国指定の重要有形民俗文化財も展示しています.

プレスリリース内容に関するお問い合わせ

大森 海苔のふるさと館 03-5471-0333(第3月曜休館)
大田区立郷土博物館 03-3777-1070(月曜休館)

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