【プレスリリース】【勝海舟生誕200年記念】初の4会期連続特別展を開催中!!
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更新日:2023年4月21日
日時
令和5年1月6日(金曜日)から令和6年3月10日(日曜日)
場所
大田区立勝海舟記念館(大田区南千束二丁目3番1号)
内容
幕末の偉人・勝海舟が生誕してから200年目の今年。勝海舟記念館では、海舟の生涯を4つの時期(青年期、40代の幕末期、50~70代の明治期、晩年期)に分けて紐解く、4会期連続の記念特別展を好評開催中です。
4回の特別展に通底するテーマは、従来あまり着目されてこなかった「家族・従者との絆」。これは、来館者アンケートでいただいたご要望にお応えしたもので、開館以来初の企画となります。令和3年、本企画に係るクラウドファンディングを実施し、目標額を約200%で達成しました。これにより修復した海舟の家族らに関わる歴史資料や、資料を元に新たに制作した展示解説映像を本展で公開します。
1年をかけて海舟と家族の生涯を時系列順にたどることができる、またとない機会です!ぜひ4回通しでご覧ください。
【展示の概要】
1 プロローグ「出帆 麟太郎と四人の先達たち」(1月6日から4月16日)
海舟が「勝麟太郎」として誕生してから、海防意見書を提出し世に出ていくまでの30余年に光を当てました。この時期、海舟が精神・学問の面で特に大きな薫陶を受けた人生の“先達”4名(勝小吉、島田虎之助、佐久間象山、大久保一翁)を取り上げ、海舟の人物形成の過程に迫りました。
2 「家族と歩んだ幕末 留守を預かる家人(かじん)たち」(4月21日から8月6日)
海舟が海軍創設や国内融和のため東奔西走の躍動を見せる中、その力となったのは、有名な坂本龍馬ら弟子たちや、大久保一翁や西郷隆盛ら同志たちだけではありません。最も近くで支えた存在は、他ならぬ、赤坂氷川の家で海舟の留守を預かった家族・従者たちでした。
本展では、幕末、海舟と母・妻・子どもたちとの間で交わされた手紙や、彼らにまつわる絵画資料などを、一挙初公開!家族との絆から見えてくる、海舟の新たな一面。そして、一家がいかにして幕末という時代に立ち向かっていったのかを、当時の資料の数々から紐解きます。
海舟の妻の手紙(部分)
川村清雄作・海舟の母の肖像画(修復前)
3 「家族と歩んだ明治 海舟書屋へのいざない」(8月11日から11月26日)
新時代・明治を迎え、一旦は徳川宗家とともに住み慣れた赤坂の地を離れた勝一家ですが、明治5(1872)年には再び東京に戻り「赤坂氷川邸」が営まれました。ここが海舟の“終の棲家”となり、訪れた多くの公人・私人の前で彼が語った言葉が、かの有名な『氷川清話』等に編まれていったのです。
本展では、「赤坂氷川邸」がどのような場所であったか、そこで一家が新時代・明治をどのように過ごしたのかを紐解きます。クラウドファンディングのご支援で修復した「勝伯爵邸見取図」や、海舟の庇護を受けた洋画家・川村清雄の手による海舟家族の肖像画など、初公開資料の数々から、近代へと歩みを進めた海舟と一家の姿、営みの様子を、資料・映像共に駆使して紐解きます。
川村清雄が描いた「海舟書屋」
修復した勝家の図面
海舟の義娘の肖像画
4 エピローグ「終着 安息の地 洗足池へ」(12月1日から3月10日)
四回連続の特別展を締め括る本展の舞台は、晩年の海舟が安息を求め、自ら埋葬場所に選んだ“終着”の地である、この洗足池です。海舟は、23年前に江戸開城を決定づけた池上本門寺会談の際に命を拾った洗足池畔を訪れ、別荘「洗足軒」を構えました。
本展ではまず、海舟と旧幕府時代の知友たちが洗足軒で作った詩歌を通し、当時の洗足池の様子と、彼らがこの地に心惹かれた背景を探ります。次いで、明治32(1899)年1月における海舟の死を見届けた親族である、目賀田種太郎・逸子(海舟三女)夫妻ゆかりの資料から、海舟77年の“旅の終わり”の様子を捉え、その後の勝伯爵家の歩みについてもご紹介します。
◆大田区立勝海舟記念館(内部サイトへリンク)
入館料:300円、小中学生100円(各種割引あり)
開館時間:午前10時から午後6時(入館は30分前まで)
休館:月曜(祝日の場合は翌日)、年末年始、臨時休館日
プレスリリース内容に関するお問い合わせ
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勝海舟記念館 電話:03-6425-7608
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